Guitar Life〜徒然なるままに〜

ギタリスト〜HITOSHI(三村 均:LORAN)の日記

2006年11月30日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー16】

よっ!(^-^)v
風邪が治った。今回は酒&タバコを意識して減らしたから復活が早かったのだ!
で、今日は【ラリー・カールトン】について話そう。
初めて聴いたのは高校2年の終わり位。当時広島で通っていた“ジモ・ギター・スクール”で課題曲として出された『ルーム335』である。俺位の世代のギターリストは必ず挑戦した曲だ。もう当時は本当にコレが流行った!どいつもこいつも“コレ”を弾いておった(笑)。
10代後半の当時の俺は、うるさいロックばかりやってきていたので、ラリーの弾くフレーズが、とてもハイセンス&新鮮に感じられ、夢中で沢山コピーしたもんだ。
とにかくギターを“うたわせる”のがメチャメチャ上手い人。
ピッキングやフィガリングの微妙なニュアンス、リズムのノリ具合、聴いていてくすぐったくなるようなフレーズのうたいまわし。
適度に品もあり、賑やかでもあり、せつなくもあり、かわいらしくもある…かと言って音楽的に幼稚なモノなんかじゃ決してない!
ラリーの人柄が作品に滲み出ているんだろう。
単純に気持ち良く、“ほんわか”といい気分になれるから大好きである。
88'年頃だったか、ラリーの家に泥棒が入り、居合わせた彼は肩とかを撃たれて、重体になるという事件があった。一時ギターリストとしての再起が危ぶまれたが、リハビリに励み見事にカムバックしてくれた!良かった(ToT)。
まだ“生”で見た事がないから、次の来日を心待ちにしている。
posted by HITOSHI at 11:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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2006年11月29日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー15】

よっ!(^-^)v

さて…やはり…避けては通れないな〜。今日は【キース・リチャーズ】について話そう。

言わずと知れたローリング・ストーンズのギターリスト。
あのカッコ良さ…真似の出来ないカッコ良さ…学校にギターを習いに来る、
技術至上主義や知識至上主義の人達に説明してもわかってもらえないカッコ良さ…
彼にしか出せないあのジャカジャーンっていうノリ…
聴けば聴くほど味が出て来る曲達&リフ達&歌裏でのキラッと光るリズム・ギター…。
彼(キース)の事をアレコレ書いたところで、わからん奴にはわからんかもな〜。
まぁ、人それぞれだから、別に無理してわからなくても良いが…。

彼の語録にはギタリストとして興味深いものが多くある。
ロバート・ジョンソンを初めて聴いた時“バッハ”を聴いている感じだったとか、
チャック・ベリーを聴いて、とても“エレガント”な音楽だと思ったとか…。
キースならではの面白い表現だ。
彼が言うと意味深なものになるし、そういうセンスの持ち主なんだろう。

まさしくロックン・ロールを奏でる為に生まれて来たような男!
存在そのものがカッコ良い!

ちなみに、うちの親父は今でこそ白髪になったが…若い頃はキースに似ていて(俺はそれほど似てるとは思わないが…ギターは弾いていた。しかも、エレキを!当時としては珍しかったハズ)俺の友達やローランのメンバーからは“キース”と呼ばれておった(笑)。
親父の為に言っておくが、素行はキースみたいじゃないよ!
昔から俺の悪友とかとも一緒に酒飲んでくれるような“チョイ悪”な所はあるが(笑)
良いお父さんだっ!
posted by HITOSHI at 13:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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2006年11月28日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー14】

よっ!(^-^)v
今日は【チャーリー・クリスチャン】について話そう。

西洋史では西暦前の事をB.C(Before Christ)というけど、
ジャズ・ギター史においてもチャーリー・クリスチャン以前のギターの歴史をB.C(Before Charie Christian)とシャレて言う。
それほど、チャーリー・クリスチャンの出現というのはジャズ史の上で重大な事件であった。

彼(チャーリー)の登場以前のジャズでは、ギターは専らリズム伴奏をする楽器として位置付けられていたが、1930年代後半から開発されだしたアンプとピックアップにより、
バンド内でもギターのシングル・トーンのソロが音量的に可能になり、
そこへサックスのようなラインをギターで弾くチャーリー・クリスチャンが(テナー・サックス奏者のレスター・ヤングにかなり影響を受けたらしい)現れたのである。

彼の登場により大きく変わったのは、ギターという楽器が他の楽器と対立できるメロディー楽器としての地位を獲得した事だ。

具体的にギターの奏法面では、それまでハネて弾いていた音符をほとんどアクセントなしで弾くバップ独特のレガートで演奏したことや、それまでのコード分散的なアドリブを、代理コードや細かいコード・チェンジによるビバップ特有のアドリブへと導いた事が挙げられる。
チャーリーの曲はレッスンで良くとりあげてやっているから、
これを読んでいる生徒さんの中にも、『…やったな…カッコ良いけど…弾こうとすると、聴いた感じより難しくて…苦しんだし…沢山小言を言われた…』などと思っている人がいるはず(笑)。

チャーリーの名を一躍有名にさせたベニー・グッドマン・コンボへの加入の際のエピソード。
ローカル・バンドで腕を磨きながら、メキメキと頭角をあらわして来たチャーリーの名はアメリカ中西部で広く知られるようになる。
噂を聞きつけたジャズ評論家のジョン・ハモンド(多くのミュージシャンを発掘した事で有名。
この“永遠の”シリーズで取り上げたスティーヴィー・レイ・ヴォーンも彼が見つけて来た)もチャーリーに惚れ込み、彼をベニー・グッドマンのバンドに入れようとして、
楽屋に連れて行ったが“田舎っぺ大将”のようなチャーリーを見て、ベニーはいい顔をしなかったらしい(笑)。

ショーが始まり、中盤のベニーの休憩時間。
バンドのメンバーをステージ上に残したまま楽屋に帰って来たベニー。
ジョン・ハモンドは『今だっ!』とばかりにチャーリーをステージへあげてしまう!
アンプとギターを用意しているあたり、かなり計画的だが…。
そこからはチャーリーの独壇場!延々と弾きまくり、客も大喜び&大盛り上がり!
楽屋から戻って来たベニーも、こうなった以上チャーリーをステージからおろすわけにもいかず(笑)、この時からチャーリーはベニー・グッドマン・コンボに加入する事になる。

とにかく、エレクトリック・ギターの先駆者、アメリカにおけるジャズギターの開祖として永遠にその名を残す天才である。
25歳という若さでこの世を去った彼だが、その残された音は、多くの、そして様々なジャンルのギターリストに語りかけ、受け継がれていくだろう。
posted by HITOSHI at 11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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2006年11月27日

【HITOSHI/う〜む(>_<)】

よっ!(>_<)
…珍しく…久々におもいっきり風邪ひいてしまった…。今日は“永遠の〜”シリーズはやめておく。
鼻が…グシュグシュとうっとおしい。滅多に風邪とかひかないんだが…疲れがたまっていたのと、レコーディングなどで気が張っていたのが、ちょっと緩んだせいかな…。
まぁ、でも俺の場合、症状はいつも鼻だけで、頭痛や発熱や咳はないから、まだ良い。
今日は食べ物や煙草の味さえわからない状態…いつもこの機会に禁酒&禁煙を試みるが…ダメである(笑)。
来週の日曜はまたライブだ!ゆっくり休める日はないが、ガツガツ飯食って、鼻うがいして、寝て、気合いで治す!
急に寒くなったから皆も身体に気をつけてねぇ〜(^-^)/〜
posted by HITOSHI at 15:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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2006年11月26日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー13】

よっ!(^-^)v
今日は“ブルースの父”“キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガー”【ロバート・ジョンソン】について話そう。
“ブルースの父”などと言ったが、実際には彼は27歳でこの世を去っている…毒殺されて…。

ロバートは、母とその不倫相手との間に生まれた(1911年の5月8日/ミシシッピ州ヘイズルハースト)。
幼い頃から過酷で不安定な環境で育った彼は片目が悪く、体もそう丈夫な方じゃなかったので、ギター弾きになるべくしてなったような人(白人支配の当時の社会に黒人として生まれ、
健康に恵まれなかった者は道端でギターやハーモニカを奏でて生業とした人が多い)。

とんでもない女好きで、しかも誰かの女房や恋人に手を出す悪癖があった。
それが原因でウィスキーにストリキニーネをたらされ…殺されている。

始めて聴いたのは21歳位だったと思う。
『なんじゃ、コレは?』っていうのが正直な感想…感動や賛嘆とかとは
別な意味で凄いと思った。
キース・リチャーズは初めて聴いた時に“バッハ”を聞いている感じだったと言っている…言わんとする事はわかるような気もするが…俺にはそんな高尚なモノには感じられなかった。
もっと“生”で“露骨”で“無遠慮”な…一人の人間が首を絞められて“呻いて”いるような痛々しい感じがして長くは聴いていられなかった。

【サン・ハウス】【アイク・ジナナン】【チャーリー・パットン】などから多くを吸収し、
ギター片手に旅から旅へと放浪しながら徐々に完成されていった彼のブルースは“クロスロード”で命と引換えに、悪魔と取引して、その技量を手に入れたという伝説になるほどのものであった。

確かに彼の音楽には、“魔力”みたいなものがある。
実際に採譜とかしようとすると、拍子はコロコロ変わるし、音も聴こえてはいるんだが、
それ以外の何かが必要な気がしてきて…結局感じが出せず、途中で断念してしまう…
あの形が良いのだ。
俺なんかにまだ真似の出来るものじゃない…ロバートのブルースは世の中に身体をぶつけて、色々と経験積まないと理解しづらいと思う。

深い!俺はまだまだじゃ。修行じゃっ!
posted by HITOSHI at 14:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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2006年11月25日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー12】

よっ!(^-^)v
今日は【ジョー・パス】について話そう。

昔ローランのライブで九州の大分へ行った時の話。
店の名前や詳しい場所は忘れた。
当日会場に入ってすぐに目についたのは巨大な【ジョー・パス】のポスターだった。
普段はジャズ・ミュージシャン達が多く出演する店らしく、いつも俺達がやっていた、いわゆる“ライブ・ハウス”とは雰囲気が違っておった。
ジョーのポスターを見ていた俺に店の主人が教えてくれた。
『先週はジョー・パスが来て演っていたんだよ。演奏は素晴らしかったけど、ジャズだし、田舎だから客が少なくてね』…と。
『へぇ〜、ジョー・パスが来たんだ…ここで演ったんだ』…と俺(驚)。

変な気分だった。ギター界の巨人“ヴァーチュオーゾ/Virtuoso=芸術の巨匠、音楽の大家”と呼ばれる彼の何かがまだ店の中に残っているような気がして、キョロキョロまわりを見回したり、思いきり息を吸い込んだりする俺であった(笑)。

ジョー・パス…ギターを知り尽くした人である。
ジャンゴ・ラインハルトに影響されギターを始め、若くからプロとしてのキャリアをスタートさせている。一時期麻薬に手を出してしまい、再起するのに多くの時間を費やす事となるが、復帰してからの彼の活躍ぶりは、素晴らしい!

ギター1本のみでアルバム全編を構成した“ヴァーチュオーゾ・シリーズ”などはギター史に残る金字塔だ。
昔、来日した際に東京の某音楽学校で彼のギター・セミナーがあり、それをレコード化し、内容を日本語訳したテキストと一緒に売りだしたことがあった。
早速買って、やってみたが、難しい事をとてもわかり易く説明してあって、これには随分お世話になった。彼の残してくれた作品や言葉は今でも多くの事を教えてくれる。

『自分の息使いに忠実に、歌うように弾く事。速く弾くという事は単に指が速く動くという事じゃなく、そういう風に歌えるという事だ。』…名言である。
posted by HITOSHI at 13:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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2006年11月24日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー11】

よっ!(^-^)v
今日は【ジミー・ペイジ】について話そう。

高校生の頃の俺の部屋は好きなギターリストのポスターだらけであったが、
中でもレスポールを低く構え、くわえタバコのジミー・ペイジのポスター!
これがカッコ良くて、好きだった。

当時のロック・ギター小僧達の間には【パープル派】と【ツェッペリン派】という区別があった。俺は【ツェッペリン派】だったが、まわりは圧倒的に【パープル派】が多く、皆『ハイウェイ・スター』や『バーン』を弾いて得意がっておった。
…ナゼか俺は昔からリッチー・ブラックモアが苦手である(笑)。

最近気付いたんだけど…どうやら俺はニコッと笑った顔が良い人が好きらしい…
リッチーには悪いが、彼が笑うと、多分ちょっとコワイもんな〜(笑)。
リッチー&リッチー・ファンの皆様、すみませんm(_ _)m

で、ナゼ俺が【ツェッペリン派】であったかというと、今述べたように、第一にジミー・ペイジの見た目がカッコ良かったというのと、リッチー・ブラックモアが苦手だったのと、エディーやAC/DCのインタビューで、レッド・ツェッペリンに影響を受けたと書いてあるのを見たのと、はねっかえりの若僧らしく、まわりの【パープル派】の連中に対する反抗心とからである。
当時の俺の好き嫌いは肝心の音楽的なものはあまり関係なかった(笑)。

さて、時は流れ、ようやく自分の耳で聴き、考えられるようになって来た俺は改めてジミー・ペイジに傾倒して行った。

彼(ジミー)の場合、ギター・プレイにというより、コンポーザーとしての才能にシビれた。
緻密に計算され、組み立てられた巨大な建造物のような名曲の数々。
自分達を一番カッコ良く演出するツボを押さえたアレンジ!見事である。
もちろん、ギターも彼独特の“感じ”があり、ハマッてしまうと中毒になってしまう味がある(笑)。彼じゃないとダメなのだ!これはアーティストとして一番大切な事なんじゃないかな。

後、ジミーの作品には“キラッ&ドキッ”とする彼ならではの“孤高”の場面が良くある。
例えば『天国への階段』のギターソロへの導入部や『永遠の詩』のテーマ・メロディー、
『貴方を愛し続けて』の構成、『アキレス最後の戦い』のイントロ・アルペジオ、
『カシミール』の展開部etc…あげるとキリがないが、こういう一瞬見せる(聴かせる?)
その姿がたまらなくカッコ良く、彼の大きな魅力で、俺の大きな楽しみだ。

今でもアレンジとかを考える時には、ヒントを得ようと、車にレッド・ツェッペリンや彼のソロ・アルバムを積み込む。ただ、聴きながら走ってると“法定速度×3”になってる事があるので、気をつけねば…(笑)
posted by HITOSHI at 12:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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2006年11月23日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー10】

よっ!(^-^)v
今日は【ジャンゴ・ラインハルト】について話そう。

彼(ジャンゴ)の事もやはり10代後半に知った。
1930年代後半から〜1940年代にかけて(戦前)活躍したベルギーの人で、ヨーロッパでのジャズギターの開祖的存在(ヨーロッパではジプシー・スウィングと呼ばれたりする)。
音楽史に永遠にその名を残す偉大な人。

ジャズに慣れていなかった当時の俺はいつも最初は拒絶反応を起こしたものだが、ジャンゴだけは最初からスッと入って来たし、すぐに好きになった。(…ただ最初、レコードの音質の悪さには、びっくりしたが…)。
彼の奏でるフレーズがメロディーとして捉えやすく、ピッタリ来たのと、
技術的に非常に優れたものであったのが原因だろう。

で、ジャンゴだが、彼は音楽も含めキチンとした教育は受けていない。
言い伝えによれば、譜面も読めず、コード名すら知らなかったといわれている。
読み書きが出来なかったというのも有名な話。
だが、演奏を生業とし、旅から旅へと流浪するジプシーの一家に生まれ、キャラバンで育ったジャンゴは幼少の頃から楽器&音楽に親しみ、ジプシー音楽独特の旋律やバンドでの演奏技術を色々と教えこまれていったらしい。

18才の頃、キャラバンの火事により、大火傷を負った彼の左手の薬指と小指は使えなくなる…(映像で見たけど、薬指と小指がくっついてて、根元から曲がってしまっているようだった)。が、音を聴く限り、そんなハンデを背負っているとはとても思えないほど(…っていうか、普通に指があっても相当に難しい)自由奔放にギターを奏でている。

ジャンゴを聴いていて、よく過去の記憶とかが甦りジワッと目頭が熱くなってくる事がある。
どんな曲にも漂う彼特有のうたいまわし…ジプシーの子として育った哀しみ、寂しさ、想いみたいなものが伝わってきて郷愁を誘われるんだと思う。

つい最近だが、彼の貴重な映像を見た!タマゲタ!(驚)…本当に2本の指(人差し指&中指)だけで、流れるように弾いていた…(ToT)…なにものにもとらわれない、感情のおもむくままの独創的なプレイ…神様が味方していたと言いたくなるような…そして、あり得ない指使い(笑)…まさしく掟破り!
それ以来、レッスンで指使いを説明する度に『でもな〜、弾ければ何でも良いんだ…本当は…だって…』と心で呟く俺であった(笑)。
posted by HITOSHI at 12:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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2006年11月22日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー9】

よっ!(^-^)v
今日は空前絶後のギターリスト『ジミ・ヘンドリックス』(略してジミ・ヘン)について話そう。

本題に入る前に高校の頃一緒にバンドやったり、チョイ悪遊びをしていた友人、
橋羽君を紹介しよう。彼の事は『3年10組の橋羽はホテル・カリフォルニア弾けるんで!』という噂の為(笑)中学生の頃から名前だけは知っていた(勝手にライバル視しておったが…笑)。

当時はギターといえばアコGで今のようにエレキ・ギターは普及していなかった。エレキ・ギターを持っているという事だけで自慢出来た時代だったので、そのうえ【弾ける】とくればヒーローであった。
で、橋羽とは高校は違ったが、共通のバンド仲間を通して会うようになり、親しくなった。確かヤスも広島時代に彼とバンドやった事あるはずだ。
初めて彼の家に行った時あまりのレコードの多さに(しかもほとんど洋盤だった)びっくりしたのを覚えてる。
彼はいつも得意げに『ジミ・ヘン』をかけておった。なぜかいつもライブ盤を…。ビール片手にカンピー(タバコ:ピースの缶入りの奴)吹かしながら…生意気な高校生じゃ(笑)
彼は東京に住んでいるので、今でも、都合があえば一緒に遊んでいる。

これが俺の『ジミ・ヘンドリックス』との出会いである。

で、正直言って、ちっとも良いと思わなかった…っていうか、どっちかというと嫌いだった(笑)
何だ?このピーピーガーガーと鳴っているキタナイ&チューニングの合ってないギターの音は!歌も“いいかげん”に歌ってるように聞こえたし…(笑)。

しかしその後広島市内にあった“ジモ・ギター・スクール”に通い出した俺はそこで『リトル・ウィング』を課題曲に出され、レコードに合わせて弾いているうちに、ちょっとだけ『ジミ・ヘン』の良さがわかって来た。

本当に凄いな〜と思い出したのはもっと後だ…。
彼の場合、黒人であった事や時代背景とかも考えてその存在を認識しないと偉大さがわかりづらいと思う。思いつく事をガーッとやり放題にやってダーッと去って行った感じ…典型的な破滅型の天才児…。
彼以後のミュージシャンに与えた影響力ってのは大変なものだ。
ただ、世の中には“勘違い野郎”というのがいて、
『ジミのように破滅的な人生を送らねば、良い音楽はできない』などと考え、麻薬に手を出し、単なる“ダメ人間”になって行く輩を多く生み出してしまったのも事実…。
ジミの場合、神経が繊細過ぎたから、傷つきやすく、破滅的になってしまったのだ。
俺も含め凡人はマネなどしようと思わない方が良い。

昔、ローランでオーストラリアをツアーした時の話。
デビューしたての頃で、俺にとって初めての外国&外国での演奏であった。
ほぼ毎日ライブをしたが、空いた日や時間を使いプロモーション用のビデオ録りもやっていた。確か“オペラ・ハウス”の近くだったと思うが、公園でギター弾き語っているお兄ちゃんがいて、セッションすると、いい絵が撮れそうだという事で一緒に一曲やる事になった。
無愛想なお兄ちゃんだった(笑)。
多分『なんだ?このガキは。東洋人のクセにロックだと?何を知ってるんだ?で、何なら弾けるんだ?え?』みたいな感じだったんじゃないかな。
通訳&マネージャーが話しをまとめて、ジミ・ヘンの『ヘイ・ジョー』をやった。
最初疑わしい目で俺を見ていたお兄ちゃんだったが、かまわず俺が弾き始めると、
一生懸命歌ってついてきおった。悪いが俺の方が100倍位上手いのじゃっ!(笑)
まわりには沢山人集まって来たし、お金も沢山投げてもらえたし、感謝しなさい!(笑)

で、その時『ヘイ・ジョー』やりながら思った。
外国に来て弾いているこの曲は広島の田舎で聴いていたそれと同じで、今俺のまわりに集まって来た各国の野次馬観光客の中にも口ずさんでいる奴がいる!
音楽って凄い!ジミ・ヘンって世界中の人が知ってるんだ!『ジミ・ヘン』って凄い…と。

で、全然関係ないが、今思い出したぁ!このオーストラリア・ツアーのある日。
夕飯済ませて、メンバー全員&スタッフで“カラオケ”へ行った。
こんなものまであるんだ〜(驚)日本って凄いと思いつつ、歌の本をめくっていたら、なんとナオさんが歌い始めた!曲はキャロルの『ファンキー・モンキー・ベイビー』(驚&珍&大爆笑)
ジミ・ヘンも日本も吹っ飛んだ!
選曲といい、タイミングといい、離れ技具合(音程も含め)といい、ナオさんの歌が一番凄かった!後にも先にもこれ以外ナオさんがソロで歌うのは聴いた事ない。

ちなみに富さんは、歌いたがりだから(笑)、何か歌ったハズだが、俺が酔っ払っていたのか、あまり記憶に残っていない…多分『濃い』フェイクをかましまくっておったんじゃないかな(笑)。ヤスは物真似上手いからな〜『西城 秀樹』とか…でも、この時どうだったかは覚えてない。
とにかく全てナオさんにもっていかれた(笑)。

で、彼(ジミ)について技術などの細かい事言ってもしょうがないので、何も書かない。
一言、存在そのものが凄い人である!
posted by HITOSHI at 14:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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2006年11月21日

【HITOSHI/永遠のギター・ヒーロー8】

よっ!(^-^)v
今日は【ウェス・モンゴメリー】について話そう。

ウェスを初めて聴いたのも10代後半のレコードを買い漁った時期だ。
『BOSS GUITAR/ボス・ギター』が一番最初に買ったアルバム。
パット・メセニーの時と同じく、やかましいロックばかり聴いていて、
まだジャズを聴くという事になれてなかった俺は最初ピンと来なかった(笑)。

そのうち段々素晴らしさがわかって来た俺は貪るようにウェスのレコードを買い漁り、聴きまくったものだ。今でも車には必ずウェスのCDを積んでいる。

彼はピックを使わず、右手親指だけで弦をはじいて弾く。
『やってみたら、暖かく太い音が出たのでそうやって弾く事にした』という事らしいが…
こういう所が天才なんだな〜。彼のトレードマークでもあるオクターブ奏法も単純に音圧&音量を得るためやり始めたらしい…。
『これは難しいし、誰もこんな弾き方していないし…ヤーメタ』って事にならないところが凄い。まわりの人と比べて自分の弾き方がちょっと変だと思わなかったんかな?(笑)
もし俺なら、不安になったりするが…。

とにかく!素晴らしい音楽家&ギターリストである!

チャーリー・パーカーなどの創りあげたビバップの方法論を掌握し、ギターではチャーリー・クリスチャン(アメリカにおけるジャズギターの開祖と言われる人)から多くを吸収し、
それらを発展させ、彼独自の革新的なスタイルを築き、ジャズにおけるギターの地位を決定的なモノとした、ジャズギターの確立者。

『ウェスの前にウェスはいないし、ウェスのあとにもウェスはいない』といわれる孤高の存在である。

インディアナポリスの片田舎での下積み時代に、すでに妻と7人の子供を抱えており、
昼間はカタギの仕事、夜から明け方まではバンド仕事という過酷な生活を送っていたらしい。
とても家族思いで、オマケに大の飛行機嫌いだった彼は有名になっても、家族と離れるのが辛く、旅を嫌ったそうだ。

面白いエピソードがある。
ウェスがジャズ・ギターリストとして有名になった頃の話だが、名声を築いたとはいえ、所詮はジャズである…ロック・スターのような大金が手に入ったわけではない…
その事を当時の彼のプロデューサーにこぼすと、『以前は無名で貧乏だったけど、今はスターで貧乏。すごい進歩だよ!』と励まされたとか…励ましになってない気がするが…(笑)。
まぁ、その後、経済的にも成功を収めるんだけどね。扶養家族が多く(40歳の時にすでに孫までいた)家族思いのウェスだから、嬉しかっただろうな〜。

彼のはじき出す音は、暖かく、楽しく、単純明解に気持ち良い!物凄く難しい事やってても、それがとても自然に聴こえる…ようするに歌っているって事なんだろうが…。
なにやらわけのわからん音階やらコードをひねくりまわしてジャズだっ!などとぬかしておるオタク・ギターリスト達よ!たまにはウェスのように肉体の一発を信じるのも良いカモ!
posted by HITOSHI at 14:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 永遠のギターヒーロー
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